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裁判員制度再考 [Artikel]

私たちは20歳になるまで、義務教育や基礎教育を受けてきました。その中には、人文科学、自然科学、社会科学などの学問を少なからず学んできたはずです。学問と言うと難しく聞こえますが、大人になるための準備を整えてきたはずです。
社会科学では、私たちの国の政治制度についても勉強しました。三権分立、その中に裁判制度があることを学びました。私たちの国は法治国家でありますから、法律によって、私たちの暮らしや安全に関することが決められています。その決まりを守らなかった人には罰を与えることにしましょうと決めました。そう決めたのは、一応、私たちの国の刑法が成立したときです。ずいぶん、昔のことだと思います。
20歳を過ぎた人たちは、これらの制度を知っています。つまり、裁判によって裁判官が決まりを守らなかった人に罰を与える決定をするということです。裁判官は私たちの代表であって、私たちそのものなのだということを思い出してください。そもそも、私たちは間接的であるにせよ、すでに裁判に参加してきているのです。
つまり、すでに私たちは人を裁いているのであり、裁判に参加しているのです。国民である以上そうなのです。ところが、今までは参加しているという感覚、意識があまりなかった。具体的に裁判を見てきたこともなかった。だから、他人事になってきてしまった。そういう部分を改善する目的、手段として、この度の裁判員制度ができたのではないかと思います。
しかし、この裁判員制度について戸惑いやおそれを持つ方もいらっしゃるだろうと思います。それもそのはずでして、私たちには猶予期間がなかった、準備期間と言いますか。数年前にこの制度を聞いて慌てふためいてしまった。ゆっくり考える時間がなかったんだと思います。でも、冷静に良く考えてみてください。今、生まれた子どもたちはこの準備期間が20年あるのです。20歳になるまでに、裁判員になるという意識を持つことができると思います。ちょうど、私たちに選挙権が与えられるときと同じようなものです。私たちは20歳になったとき、選挙権を持つことで慌てふためいたりしませんでした。それは、選挙権が得られるということを社会科の授業で何度も学んだのであり、その間に政治に参加するという意識を持つことができたからなんだと思います。
裁判員制度は、始め方としては少し雑なところがあったように感じますが、必要なものだと考えております。日本国民として生まれてきた以上、私たちは政治(選挙)、立法(選挙)、裁判(裁判員制度)に参加しなければならない、これは意外と当たり前のことであって、私たちはそれを忘れてきていたのかも知れません。
今、もう一歩、私たちがこの国のために踏み出すときが来ているのです。裁判員制度に参加するのも怖くて恐ろしいことですが、選挙も同じように怖くて恐ろしいものなのかも知れません。選挙も裁判員制度も、私たちの生命や暮らしをより良いものにするために私たちがしなくてはいけないことなのです。
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